10年前に出版した本に書いたこと

2011年に出版した「スマートフォン術 情報漏えいから身を守れ」(朝日新聞出版)の中で書いた一文を読み返してみた。感慨深いのは、現在起きている様々なネット事件やニュースが当時私が予言した以上に、日常の風景になってしまったことに驚く。当時、こんなことを書いた。

目次

「スマートフォン術 情報漏えいから身を守れ」より

スマートフォンは、歩く拡声器になる

モバイル、ソーシャルな情報端末という点で、スマートフォンは間違いなく拡声器になる。もしもし電話の内輪話が、ネットを通じて世界中に流れるという点で。

ところで次のようなことが、数年内に普通の日常風景になっているかもしれない。

「ちょっと聞いてよ、今日、ランチしたあの店さ、評判と聞いたから行ったのに、不味かった」
「そうなんだぁ、アンラッキーだったねー。私もこれからは行くのやめる」

普通の電話ならここで話は終わる。

それがソーシャルネットワーク時代だと、こんな風になる。

銀座4丁目発本人ライブ中継。店から出てきてSNSで「不味かった」感想を述べる。

発信者情報をGPSで捕捉。エリア内にいた人たちから次々とフォローのコメント。

店名、エリアで検索すると、いま食べ終えた人の食後の感想と一緒に、店の情報、メニューが写真で出てくる。

さっそくレイティング(評価)のコメントを確認。

「え、うそー同じ店だよ。今から行こうと思ってるんだけど」
「え? オレもだよ、予約しちゃったんだが、やめるかな……」。

これは、店にとってはちょっと不幸な話かもしれない。

だが情報を共有できた人たちにとってはハッピーな情報だろう。これこそがソーシャルネットワークだ。

この点は、すでにパソコン上で起きていたレイティング(例えば飲食店の口コミ評価やホテル旅館の評価など)から、ある程度予測できたことであり、スマートフォンの世界で始まっていたことだったので、当然と思う。

続けて、次のようにも書いていた。

ところが、目にしたこと、聞いたこと、感じたことを、そのまま書き込んでしまったためにとんでもないことに発展するのもネットである。

少しの親切心から出た行為が偽善と受け取られて糾弾されたり、悪ふざけの気持ちで投稿した映像が社会的非難を浴びたり、職場の上司へのちょっとした愚痴がとんでもない結果を招くのである。

スマートフォンは起動時間も早く、その場で簡単にソーシャルメディアとつないでいろいろなアクションを起こすことができる。そこが従来の携帯電話(フィーチャーフォン)やノートパソコンと明らかに異なる点だと思う。

その場で見たこと、聞いたこと、感じたことを、ネットにすぐアップロードできるという点で。

こうしたスマートフォンを一般的に使う時代になると、どうなるだろうか。間違いなくネット上でいま以上に、炎上、祭りが盛んになり、本人だけでなく、友人や家族、会社まで巻き込まれる事件が多発するに違いない。

なぜなら、「話題」を家に持ち帰り編集してパソコンからアップロードするのでなく、体験し見聞したことを、その場からアップロードするようになるからだ。

フェイスブックのように動画や写真を共有できるアプリを使えば「ちょっと許せない店員の応対態度」はその場で隠し撮りされ、ネットクレームとしてライブ中継されるだろう。

「ちょっとした悪ふざけ」動画投稿が、反道徳的行為としてネットで晒され炎上するだろう。

ときには正当な発言や行動ですら、一部が切り取られ編集されることで、まったく違ったコンテンツとなって炎上・祭りの火種となる。

  • 文章が読みやすくなるように意図的に改行を入れている
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まとめ

今思えば、当時はフェイクニュースという言葉は存在していなかった。人々が信じてしまうほどに加工され、演出される、新たな技術変革の波が起きることまで予測できなかった。

「目にしたこと、聞いたこと、感じたことを、そのまま書き込んでしまう」という習性のようなものが、人は何を観て心を動かし、何を信じて行動するかという点で、ソーシャルメディア、とりわけSNSが大きな役割を占めるようになったことを、改めて認識する。

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